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Channel: カメラ修理屋の気まぐれ雑記帳
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私が撮り鉄になったわけ

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今日で烏山線のキハ40型が無くなり、
ハイブリッド式の車両と入れ替わるそうです。
平日にも関らず撮りに行かれた方が多かったようですが、
結局、私は一度も烏山線には行けませんでした。
ただ私の中では、
あまりキハ40が古い車両という感じがしません。
それは、私の撮り鉄には長~いブランクがあるからです。



中学3年生の時の同級生に、
背の小さな杉山君という仲の良い友達がいて、
彼が鉄道好きでした。
あるとき彼に、
「日曜日、一緒に電車を撮りに行かない?」と誘われました。
もともと乗り物好きだった私は、
父にカメラを借りて一緒に行く事にしました。

最初に行ったのは東京駅。
「あさかぜ」を撮りました。
記念すべき(?)私の撮り鉄ファーストショットです。

イメージ 1

確かこの後に来た「瀬戸」も見た記憶があるのですが、
なぜか写真がありません。


その後は上野駅へ行き、
急行「津軽」と「八甲田」を見ました。
そこで見たのがEF57でした。
前に飛び出したパンタグラフや、
大きなデッキに「カッコいい!」と思いました。
なんかダメダメな写真ですが、
初めての鉄道写真なので仕方無いですよね。

イメージ 2


イメージ 3



この日がきっかけで、
私も撮り鉄の道へ進むことになりました。
父に借りるカメラも、
当時で言う「バカチョン」から一眼レフのOM-1になり、
135mmの望遠レンズをお年玉で買いました。

なぜか当時から私は古い車両ばかりが好きで、
ブルートレインや普通の特急は撮りに行かず、
EF57・EF58や181系の「とき」ばかり撮っていました。
しかし一番好きなEF57は既に殆ど運用に入ることは無く、
翌年には全機廃車になってしまいました。
「津軽」や「八甲田」を撮りに行って、
遠くに青い機関車が見えた時にはガッカリしたものです。


EF57が廃車になり、
181系の「とき」もマークに絵が入るようになると、
ガッカリして殆ど国鉄の写真は撮りに行かなくなくなりました。
その頃「日本の私鉄」という本を買ったのですが、
銚子電鉄のページを見た時に、
「まだこんな古い電車が走っている場所が関東にあったのか」
と思い、今度は銚子電鉄を撮りに行くようになりました。


イメージ 4



最初に銚子電鉄に行った時の衝撃を未だに覚えています。
銚子電鉄の電車は、
国鉄銚子駅のホームの先っぽから発車します。
ホームに電車が入ってきたのですが、
いつまで待ってもドアが開きません。
すると、後ろの人がドアを手で開けて乗り込みました。
なんと、デハ201には自動ドアが付いていないのです。
しかもドアは木で出来ていて下に滑車が付いていました。


イメージ 5

屋根にはパンタグラフではなくビューゲルが付いています。

次に驚いたのは、
車内の吊広告が全て手書きだったことです。
銚子電鉄に広告を頼むと、
近所の老人ホームの人が描いてくれたそうです。

そして何よりここには、
時間が止まったような風景が残っていました。

イメージ 8


イメージ 11

この衝撃が忘れられず、
この後も何度か銚子まで通いました。


銚子電鉄のホームページの「過去の車両紹介」を見ると、
「デハ201は故障が多く活躍期間は短かった」と書いてあります。
私が銚子電鉄に行った当時は、いつもデハ201とデハ301でした。
良い時期に通っていたようです。

イメージ 6



また銚子電鉄のホームページの「過去の車両」には、
2軸木造客車のハフ1・ハフ2の記載がありません。
忘れ去られたようで寂しいですね。

イメージ 9



このハフ2両や、おへそライトで好きだったデハ201も、
1979年にデハ700型の入線で廃車になってしまいました。
そして私も、銚子電鉄へ行く事が殆ど無くなりました。
今思えばデハ701・702も相当古い車両だったのですが、
「パンタグラフで自動ドアの銚子電鉄なんて」・・・
という気持ちが大きかったのでした。

新型車両として整備中のデハ702。
後ろには、まだ廃車になっていないデハ101がいます。

イメージ 7



その後は旧型電車が残る国鉄鶴見線や江ノ電、
大井川鉄道にC11を撮りに行ったりもしたが、
やはり銚子電鉄のような面白さは無く、
また大学に入るとバイクの方に興味が移り、
鉄道からは長い間、離れてしまうことになりました。


撮り鉄へ復帰したきっかけは、
2009年の秋に妻とのタンデムツーリングで秩父に行った時に、
ついでに秩父鉄道のC58を撮ったことです。
「やっぱSLはいいなぁ」と思ったのです。
既にカメラはデジカメでした。

イメージ 10



そして真岡鉄道にも通うようになり、
上越線にC61も復活、しばらくはSLだけ撮っていました。
そしてどんどん興味が広がって行き、
今に至る、というわけです、はい。


ブランクが長いので、
今でも「E〇〇系」とか言われてもさっぱり分かりません。
復活した当時、撮り鉄仲間からメールが来て、
「ゲッパとザンクのPPです」と書いてありましたが、
何かの暗号かと思ったほどです。(^^;)


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