先日の投票で、カメラ修理についての記事を見たくてご来訪戴いている
がたくさんいらっしゃる事が分かりましたが、相変わらず仕事は今週も
ライカとレンズばかりです。そこで今日は、私がこのブログを始めた
きっかけなどを書いてみようと思います。
私がクラシックカメラが好きになり始めた当時、今は無き京王デパートのカメラ市に行きました。その時の狙いは、レチナⅢcのヘリゴン付き初期型でした。Ⅲcの初期型は絞り羽根の枚数が多く、円形絞りになるのです。しかしただでさえヘリゴン付きは少なく、しかも初期型となるとあまり見掛けないのですが、各店を見て回っているうちに、早田カメラに1台ありました。さすがに初期型のヘリゴン付きという事を知っているらしく結構高価でしたが、早田カメラで販売しているカメラは全てオーバーホール済みということを聞いていたので、少々割高でも安心して使えると思い購入を決めました。ところが買う時に早田さんに、「このⅢcはカメラ市までにオーバーホールが間に合わなかったので、時間がある時に店の方に持っていらっしゃい」と言われました。持ち帰って良く見てみると、確かに少しシャッターが粘り気味でしたし、ファンダーも僅かに雲っていました。
そこでカメラ市が終わって2週間ほどした時に、浅草の早田カメラにⅢcを持って行きました。すると早田さんに、「2時間くらいで出来るけど、どうする?待ってる?」と言われました。また出直すのも面倒だし交通費も掛かるので、浅草で待つことにしました。食事でもしてコーヒーでも飲んで待とうと思ったのです。すると早田さんは、私が見ている前でサッサと私のレチナを分解し始めました。自分のカメラがどんどんバラバラにされて行きます。シャッターを外してヘリコイドを外し、グリスアップして組み上げて行きます。シャッターも一度バラバラになってから組み上がって行きます。ファインダーも一枚一枚外してクリーニングして行きます。もともとメカ好きだった私にとって、「へ~、ここはこんなふうになってるんだ」「ここはこういう仕組みで動くのかぁ」と、これを見ている2時間は、アッという間に過ぎて行きました。この感動は、尾辻克彦(赤瀬川源平)さんの著書「ライカ同盟」にも書かれていますが、それと全く同じでした。
しかしこの時は、数年後に、まさか私自身がこの仕事をやるようになるとは思ってもいませんでした。ですからこの仕事を始めてから、きっと私のように、カメラの内部を見てみたい人も多いのではないかと思いました。そこで少しでも内部の様子を紹介できたらと思い、このブログを始めた次第なのです。ブログを始めた頃はまだブームの最後の頃だったので、次々にいろいろなカメラが修理に来てネタには困りませんでした。また私も仕事を初めてまだ数年しか経っていなかったので、ブログの中で解説するのも自分への勉強にもなりました。
以前、友人にこのブログを始めた理由を話をしたら、「どうせなら、youtubeに修理している様子を動画で載せたら?」と言われた事があります。しかしそんな話はとんでもない!以前も書きましたが、私はこんな仕事をしている割には、不器用なのです。今でもこの仕事は自分には向いていないと思っています。多分、他の修理屋さんの1.5倍は時間が掛かります。走るのが遅い人が飛脚屋を始めるようなものですね。だから私がこの仕事で稼ぐのは大変なんです。あ、愚痴になってしまいました。
しかも妻は知っていますが、修理中は「ああクソ!」とか「ああもう!」なんて独り言を言いながらやっています。それを皆様に見せるのは、単に恥さらしです。じつは今年、高島屋のカメラフェアーで修理コーナーをやっていた福島さんから、「今年から出ないんだけど、代わりに高島屋に出ない?」という電話がありましたが、これこそ「トンでもない!」と断りました。人前でこんな私を見せる訳にはゆきません。だって会場で皆さんが見ている前で、不器用な私がスプリングを掛け損なって「ピ~ン」と飛ばしてしまい、「皆さん!絶対そこを動かないで下さい!」と言って、床を這いつくばる訳には行きませんから。自分の仕事部屋では、こんな事はしょっちゅうですから・・・ (^^;)
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